細き川に溺れたい

   Volo equitare in unda FOSOCAUA... 細川家に関する独り言を綴るだけ

玉甫紹琮と濃姫

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玉甫紹琮のことをネット検索していたところ、↓のような記事を見つけました。
織田信長と濃姫 | 3分でわかる織田信長の歴史

記事の中ほどに、織田信長正室とされている帰蝶/濃姫が施し、大徳寺塔頭である”養華院”を「玉甫が開創」したとあります。

おん!?
濃姫が施しをして、玉甫のために塔頭を!?!?

玉甫といえば、大徳寺130世住持であり、師である古渓宗陳の後を継いで総見院2世をしていたり、甥である細川忠興に頼まれて兄である細川幽斎の菩提を弔うために高桐院を開山したり、確かに大徳寺周りで色々と活動している禅僧です。(玉甫のことはこちらを参照のこと)

が、まさか濃姫となんらか関係があったとは!?

で、「養華院 玉甫」というキーワードで検索してみるとちょこちょこヒットする。

この↓の記事によると、そもそも「養華院要津妙玄大姉」が今日一般的に認識されているように、織田信長正室である帰蝶/濃姫であるとは確証はないわけそうですが・・・
泰巖宗安記:養華院は信長の寵妾
まぁ、大徳寺織田家と縁が深いところですから濃姫だとしても不思議ではないのでしょうけども・・・

こちらの論文によると、養華院は玉甫の住まいになっていたそうな。へぇ。
高桐院は慶長6年(1601年)に創建されているので、養華院はそれよりも前に創建されていて、高桐院ができるまでは玉甫はこちらにいたってことなのかな。

この論文には、高桐院に「養華庵」という塔頭あるいは寮舎があったと記されています。
養華院がなくなった後、高桐院ができて、そこに養華庵をつくったってことなのかも?
なんにせよ玉甫との関係性があるのは確実っぽいですねぇ。
(ちなみに同じく高桐院にあったと書かれてる「泰勝庵」は、戒名を考えても幽斎さんを祀るためのものですね!)

師である古渓は、怒りに触れて九州に配流されるまでは豊臣秀吉と非常に近しい関係でした。
もちろん兄である幽斎さんと秀吉との縁もあるので、これらの人脈から考えても、玉甫はわりと秀吉とは近しいのかなぁとは思ってました。
(古渓は千利休とも親しく、九州配流の前には利休が惜別の茶会を開いてくれて、そこに玉甫も出席しています。)

が、織田家ともけっこう親しかったんですなぁ。ビックリ。
もしかして織田家ではなく、個人的に濃姫と親しかっただけかもしれませんが、それはそれで理由が知りたい・・・

養華院(あるいは養華庵)は既に残っていないっぽいですし、玉甫と濃姫がどんな関係だったか詳細はわかりませんが、興味深い話題だと思ったのでご紹介まで!