細き川に溺れたい

   Volo equitare in unda FOSOCAUA... 細川家に関する独り言を綴るだけ

『慶長日件録』に出てくる細川家関係者

f:id:nashoy:20211024153848p:plain
先日、「宮川智光院」なる人物についての記事を書きましたが↓
hohshoy.hatenablog.com


引用元とされていた『慶長日件録』について、金子先生の論文で取り上げられていた「慶長九年十月二十八日条」以降のところもさらぁ~~っと目を通していたところ、やはりちょこちょこ細川家関係者が出てくるんですよね。
めちゃくちゃ適当に一部を眺めているだけなんで、読み込めばもっといっぱい出てくるのだと思いますが、以下私の目にとまったところだけご紹介。

  • 「慶長九年十月二十八日条」と同じ79コマ目の、「十月三十日条」や「十一月朔条」には「妙庵」が来てたり!
  • 「慶長十年正月九日条」には、「妙庵」と出逢ってたり!
  • その少しあと「慶長十年正月十二日条」には、著者が「智光院」のお宅にお邪魔したこと、「長岡越中(=細川忠興)」の二男である「與五郎(=細川興秋)」が髻を切り南禅寺に蟄居したことが記録されている~!
  • 「慶長十年正月二十三日条」には、「宮川智光院」へうつほ物語の目録を送ったっぽい?(読めない・・・)
  • 「慶長十年三月二十五日条」「慶長十年三月二十六日条」には「三淵伯耆(=三淵光行、藤英の二男)」のところに泊まっていたり!
  • 「慶長十年四月九日条」には「羽柴越中息、内記、昇殿」あって、さらに「四月十日条」との行間には、「羽柴越中息、内記、今日叙爵、侍従、名乗忠利」という内容が!!その後は「細川侍従」として忠利がちょこちょこ出てくる~!
  • 「慶長十年六月十一日条」や「十二日条」には「冲長老(=梅印元冲、幽斎さんの実弟)」の名前も!本の貸し借りをしているっぽい?
  • 「慶長十年六月二十二日条」「二十六日条」「二十九日条」「三十日条」には、「長岡越中」や「羽越中」が出てくるし、「二十八日条」には「妙庵」と朝食食べてる。
  • ちなみに「三十日条」では忠興から鰻150本、鰡(ぼら)30れん、鰒(あわび)30本をもらったことが記録されている。

いやぁ、古文書初心者の私がざっと眺めただけでも、↑くらい出てくるんですよねぇ。内容があっているかはわかりませんが(コラ)
こういうのをさらっと読めると、細川家関係者の色んな動向をもっと理解できるんだろうなぁとわかっていつつ、勉強していないダメなオタクです。。。

著者の舟橋秀賢は、幽斎さんの祖父でもある清原宣賢のひ孫にあたり、もちろん忠興や妙庵(幸隆)たちとも親戚です。
妙庵は秀賢宅にもよく訪れてるっぽく、朝食を一緒に食べたりしているようだ。
秀賢は1575年生まれで、妙庵は1571年生まれ。年の近い親戚として仲良しだったんですかねぇ。

宮川智光院のことを引きずる・・・

また、與五郎・興秋くんの出奔の件について、秀賢が智光院のものとを訪れた際に聞いたのだろうと考えると、やはり智光院は秀賢くんよりは細川家に近しい人物ですよねぇ。
與五郎君は出奔後に建仁寺に入って剃髪したという説もあるのだが、建仁寺といえば宮川尼の息子である英甫永雄とめちゃくちゃ関係があるお寺ですからね。
英甫→宮川尼へとすぐに話が伝わっていてもおかしくはないと思いません?
うーん、智光院=宮川尼だと思うがどうなんだろうか?(前のブログ内容を引きずっているw)

忠利くんも出てくる

忠利の叙爵についても、行間にねじ込んででも書いてくれてるのありがたいね(笑)
同じタイミングで、最上家の息子も侍従になっていて、最上家親という名乗になったと記録があります。この人物のこと全く知りませんでしたが、Wikiによると伊達政宗の従弟らしい。へぇ!

全斎、とは・・・?

ところで、妙庵はたまに「全斎」なる人と一緒に行動してたりするんだが、全斎はほかにも単独や女房衆と一緒にちらちら出てくるんですよ。
で、今回『慶長日件録』を眺めながら、一つ不思議だったのは「幽斎さんが全然現れないなぁ」ってこと。
・・・・・・・うん?
まさか全斎って幽斎の誤読とかではないよな・・・!?!?翻刻の間違いだったりする、のか・・・・?

くずし字で「全」と「幽」が似ているのかどうか、無知な私にはわからんのだが・・・・
「慶長十年正月二十三日条」で、宮川智光院にうつほ物語の目録を送る記事では、実は最初に「全斎来談」と書いてあるんですよねぇ。
もし智光院⇔宮川尼で全斎⇔幽斎ならば、2人はきょうだいですから、秀賢に「智光院がうつほ物語の目録欲しがってるってよ~」て話しを聞かせていてもおかしくはない、かな。
忠興や妙庵がちょこちょこ出てくる慶長十年六月の下旬にも、実は「二十五日条」に「全斎、同女房衆来入、薦晩飡」と出てくる。細川ファミリーが入れ代わり立ち代わり秀賢のもとに訪問するウィークだったのかしら!?
うわぁぁぁぁ気になるぅぅぅぅ!!!有識者の皆さま教えてぇぇぇぇ!!!

いやぁ、金子先生の論文から端を発し、宮川智光院のことを知りたくてたどり着いた『慶長日件録』ですが、楽しい!
吉田家や清原家/舟橋家界隈は、けっこう日記が残っていたりしますからね。
こういう細川家関係者のリアルな動きが垣間見えるのは面白いですよねぇ!