細き川に溺れたい

   Volo equitare in unda FOSOCAUA... 細川家に関する独り言を綴るだけ

「醒睡笑」に出てくる宮川尼と雄長老とそしてあの男・・・


江戸時代に京都の僧侶である安楽庵策伝によって著された笑話集に「醒睡笑」というものがあります。
この中に、建仁寺で学び住持にもなった英甫永雄とその母である宮川尼がちょこちょこ出てくる。
このブログでもたびたび触れていますが、この二人は細川幽斎の甥と異母姉なんですよね。

この論文↓によると、雄長老(英甫のこと)が出てくるのは24か所。宮川尼は2か所。

花田富二夫, 狂歌咄の人物―雄長老雑記―, 雅俗 創刊, 59-84, 1994

雄長老は「近世狂歌の祖」とも言える人物なので、「醒睡笑」でもわりと取り上げられているってことですな。

今回は上記の論文と、講談社学術文庫の「醒睡笑 全訳注」も参照しつつ、書いていきます。

宮川尼が出てくる咄

巻之五「婲心」より。(”きゃしゃごころ”と読むようだ)

細川幽斎公の姉御前に。宮河殿とかやいふて。建仁寺の内。如是院といふに。おはせし事ありき。長岡越中守殿より。大津にて米を百石まいらする由の文をみたまひて。其返事に
御ふしんのやくにもたゝ努この尼か百のいしをはいかてひくへき
とありしをけに断やと。即車にてをくりたまひし

時代とかがわかりませんが、この「長岡越中守」は忠興という理解でいいでしょう。
宮川尼が建仁寺(←英甫がいたのでしょうね)にいたときに、忠興から大津で米100石を贈ると手紙をもらったけれど、「普請の役にもたたないBBAがどうやって百石の米を曳くことができると思うん?無理やん?」って断ったって感じでしょうか?
(どんな関西人のノリの意訳)
で、それを読んだ忠興が「そりゃもっともだな」って、ちゃんと車(牛車?)でお米送ったよって咄らしいです。

・・・・・強いな、宮川尼wwwwwww
忠興をこんな風にあしらえる伯母さんとか最高じゃないですかwwwwwwww

宮川尼は大阪の細川屋敷に身を寄せていた時期もあるみたいで、忠興の正室・玉と一緒に暮らしていたっぽい。
そういう縁もあって忠興ともかなりフレンドリーな伯母甥の関係だったのかしら。

ちなみにこの話、元ネタはどうも幽斎さんと宮川尼の話だったらしく、そこから笑話として作られた可能性があるらしい。
元ネタは「古今夷曲集」という狂歌集に載っているのだそうな。
公方様の御普請のために取り寄せた米が余ったので、姉に「取りに来いよ~」って連絡したら、上述の狂歌が返ってきたらしいww
仲の良い姉弟といっていいのか、姉強しってところなのか、悩みますねwwww

宮川尼が出てくる咄の残りは、太閤秀吉を皮肉ったような内容のもの。
うーーん、やはりけっこう癖がありそうですよね宮川尼ww

雄長老が出てくる咄

で、↑の母の咄のすぐあとに雄長老の咄も出てくる。同じく、巻之五「婲心」より。

さきの宮川殿子息。雄長老。頭痛のなをると聞。とつがわへ湯治し給ひし時。音つれとて。人をつかはし給ふたよりに
御養生の湯入の心しつかなれや
とつかはとしてあかりたまひそ

頭痛が治ると聞いて十津川へ湯治しにきた雄長老が、居心地よくて(?)長居してたら、心配して人が様子を見に来た。

で、「湯治に来て心が穏やかになっているんだから、さっさと湯から上がって京に戻るのはよくない」って言ったよって咄。
温泉がよくて癒されたすぎて慌ただしい京都に戻りたくない僧侶ww

そのほか、雄長老は全18題の中で計24か所に載っている。
普段からポコポコ狂歌詠みまくってたんだろうなぁこの人。

実は出てくる幽斎さん

で、まぁ、この人も出てきますよねやっぱり(笑)
そう、みんな大好き細川幽斎
もちろん幽斎さんも載ってるんですよねぇ!

巻之八「頓作」には↓の狂歌が載っています。太閤秀吉の御前に、青海苔のついた炒り豆が出されたときに即興で詠んだやつ。これは歌自体がわりと有名ですかね。

君が代は千代に八千代に さざれ石の巖となりて苔のむす豆

しれっと面白おかしく秀吉を持ち上げる替え歌を詠める幽斎さん、マジ幽斎さんって感じ。
これ以外にも醒睡笑では10か所以上幽斎さんも登場するのだとか。なんだかんだと出張るよねぇw

結局最後は幽斎さんが持ってくパターンの記事でしたww