細き川に溺れたい

   Volo equitare in unda FOSOCAUA... 細川家に関する独り言を綴るだけ

永青文庫美術館「戦国最強の家老」展に行ってきた


(前回の投稿から気付けばずいぶん間があいてしまいました・・・・下書きしたままずーーーーーーっとほったらかしにしている記事がちらほらありますので、ぼちぼちアップしていきたいと思います)
(まずは、3月(!?)にアップしたかった記事から。。。笑)

3月、永青文庫美術館の2021年度春季展「戦国最強の家老 ―細川家を支えた重臣松井家とその至宝―」に行ってきました。
東京滞在中の1日目に展覧会へ、2日目には記念講演会(なんと現松井家ご当主によるお話し!)に参加してきました。
とりあえず(長くなるだろうしw)展覧会レポと、講演会レポは分けてアップします。
今回は展覧会について!

松井家とは

近世細川家の筆頭家老を務め続けた、細川クラスタなら知らぬ人はいない”最強の家老”、それが松井家です・・・!!
もちろん日本史好きなら「家老といえば〇〇でしょ」みたいな”推し家老”がいると思いますが、細川家オタクならもう、松井家を抜きには家老を語れない。
細川家には世襲の家老家が3家ある。

  • 筆頭家老:松井家
  • 二番家老:米田(こめだ)
  • 三番家老:有吉家

米田家・有吉家も色々と面白い・興味深いエピソードはあるのだけれど、この中でも松井家はもう「ザ・筆頭」という感じで、常に細川家を陰に日向に支え続けて盛り立て続けたおうち。
誇張ではなく、松井家がいなかったら細川家残ってないんじゃね?という分岐点がいくつもあった。
ありがとう、松井家・・・細川家を今日まで支えてくれて・・・・

で、細川家における「永青文庫」と同じように、松井家も熊本八代に「松井文庫」がありまして、松井家が数百年にわたって受け継いできた文書や美術・工芸品を今に伝えてくれています。
ほんと、この両家の記録やモノの残り具合は異常と言っていいよなぁww
信長関連、千利休関連、宮本武蔵関連、赤穂浪士関連・・・・・etc
有名どころの遺物がたぁっっくさん残っているのも、両家のコレクションの神髄の一部ですね。

今回は、ほぼ全てが松井文庫もしくは永青文庫所蔵の作品で彩られた、”細川家にとって”戦国最強の家老である松井家に関する展覧会です。
もう、行くしかないよオタクは・・・・・

こぼれ話

ところで今回、9:55過ぎくらいに庭園の方についたんですよ。
普通に9:00から開館してるもんだと思って庭園側から入る扉のところ行ったら、既に数名の人がいたんだけど、門が閉まっていて(笑)
「アレ!?まさかの10時開館!?!?めっちゃ一番乗りグループになってしまった!?!?」
って、ちょっと焦ったwwww
すぐに係りの若い男の子(バイトさん?和敬塾に住んでいる学生とかでしょうか?)が来て開けてくださいました。
結局その日の1ケタ代で入場しましたよwww期せずしてやる気満々な感じになってしまったww

通常の展覧会より(というと失礼かもだけど)やはり来館者は多かったように思います。
永青文庫さんでは閲覧中フロアに一人きりってことも珍しくないのですが(じっくりと自分の観たいところが観られるので個人的には嬉しいがww)今回はひっきりなしに新しい方が展示室に入ってきてた感じ。
注目されてる展覧会なんだなぁと改めて!
みんな是非、永青文庫にお金を落としていってほしい!!(身もふたもない)

気になったところ羅列

本当は一点一点感想を綴りたいのだけど、それはさすがに自分でも引くのでww
ざぁーーーーーっと、特に気になったところを羅列していきます。

  • まず初っ端に、近世松井家の初代・康之、二代・興長、三代・寄之、の御像が並べて展示・・・・!!!オイオイオイオイ、最初っからクライマックスかよ!?!?!?ってなった。一人ずつじっくり眺めた後は、ちょっと後ろへ下がって、三人を一緒に眺める。なんか既に胸がいっぱい(早い)
  • 第一展示室は宮本武蔵関連。最初はキャッチーなところから入ってる感じですね。
  • 武蔵が描いたという「野馬図」を観ていて、なんとなく、三斎が描いたと伝わっている馬の絵を思い出しましたww
  • 赤星閑意により明治時代に描かれた熊本城および周辺の図について、家臣の家もちらほら見える。米田、下津、長岡、松井、郡・・・などなど。金で文字が書かれててカッコいい。
  • 「緋黒羅紗段替陣羽織」は平べったく展示されていて、上からじっくり観ることができました。松井興長が将軍徳川家光から拝領したというもの。緋のビロードの感じ、細かい縫い目や、背中の葵の御紋もじっくりじっくり観られる。展覧会のチラシにででんっ!と載っている興長が着ているやつです。自慢だったんだねぇ。(刀ミュ「静の海のパライソ」履修済の審神者の皆様、見覚えのある例のアレですよ!)
  • 徒然草扇面」について、以前、論文紹介の記事で紹介しましたな。秀次借金事件の時に家康に助けを借りに行った康之が汗だらだらだったから、家康がくれたやつ。
  • 「有馬則頼書状」について、幽斎・忠興から一時的に冷遇されていた康之だったけど、上記事件の際に「やっぱ松井康之でないと対応できんから!」ってことで、「すぐにお前が来い!」って家康に代わって有馬則頼から届いた書状ですが、「幽斎」って呼び捨てなんですよね。これは普通なのか?既に隠居してるし、敬称つけるような必要ないってことなのかしらん?
  • 「松井興長家臣起請文案」では、死期が近づいた康之が、松井家の家臣に対して「松井家(が力を持ちすぎること、という意味かな)によって細川家が滅ぼされることのないように」って目的で考えたらしい・・・康之、お前ってやつぁ・・・・
  • 細川忠興見舞状群」について、何度みても”群”に笑ってしまうwwwホントその通りww群なんですよコレはwww康之への想いが溢れているんだよなぁ
  • 「松井康之遺書写」、これも涙なしには見れないやつの一つですよね。この遺書の指示通り、↑の書状群が松井家に受け継がれ残っているのが本当に、松井家・細川家らしいなあと改めて。
  • 「細川忠利自筆裏書」、興長から「貯めこんでる米、まさか自分ごとに使うわけじゃあないですよね?殿様ですもんね?当たり前ですよね?」みたいな煽りが届いて、その返事。めちゃくちゃ忠利のイライラ感が伝わるww「大変な思いをしている領民に配るに決まっとるやろがい!!これで文句ないやろ!?」ってなってる忠利ww通常でも豪快な文字が、いつもよりさらに豪快になっている気がするww
  • 「松井興長自筆諫言状」はもちろんスペースの都合で(笑)5m全部は出せないわけですが、最初の部分が出てました。巻いてある部分が分厚いwwあの手この手、あの表現この表現で「相撲取読んできちゃダメ!」「細川家にふさわしい行動をして!」って、79歳のおじいちゃんが18歳の若造に説いているのが伝わってくる。「誰も言わんから老い先短い自分が言います」っていう興長の矜持。
  • ↑に対する綱利君からの返信「細川綱利自筆書状」、「今や状況はいろいろと変わってきてる、相撲取りがそんな悪行はしないから大丈夫、予定通り召し抱えるから!なんなら江戸に引き取ってもいい。でも言いにくいこと言ってくれてありがとな!」ってなんか軽い感じで草wwwこれが世代間ギャップってやつかww興長の諫言状はわりに細かい字でぴっしり目に書かれているのに対して、綱利くんのは行間も広く、一文字一文字も大きくてwwマイペースなんだろうなぁwwwちな、「この手紙は自筆だから読んだら焼却して」という指示があるのですが、ばっちり残ってるよ綱利くん!笑
  • 「松井興長遺書」、でけぇし長ぇしみっしり!!!!さすが興長じいさんだぜ!!!!!
  • 千利休書状」、堺蟄居を命じられて淀川から出る船に乗るとき、こっそり古田織部細川忠興が見送りに来てくれて驚いたよって内容の、チョー有名なやつですね。そう、これは松井康之宛に書かれたもので、松井文庫で受け継がれてきた!本当はお見送りに康之も駆け付けたかったわけですけど行けなくて、その代わり利休に書状を送ったんですが、これはその返事なんですね。当時の封を切った跡やたたみ方がそのまま残っているのも、たいへん珍しいらしいです。

っふう。一気に書き連ねてみました(書き連ねすぎでは?)

一番心に残ったこと

今回、一番心に残ったというか、展示作品前での滞在時間が長かった(笑)のは、松井康之筆と伝わっている「松井康之物場数等の覚書」という文書でした。
老い先短いと自分で悟った康之が、後継者である興長に対して、自分の武功を伝えるために書いたもの。

若かりし頃から熟年にいたるまで、康之が出立した戦の中で特に自分でも「よく働いた」ってやつ(箕作や桂川合戦など)を10項目取り上げているのですが・・・・

この中ので2つだけ、2つだけ、戦には直接関係ないことを取り上げているんですよ・・・・
そう、それは・・・・・
5番目に「藤孝様に悪い噂がたったときのこと」、8番目に「秀次借金事件の時に忠興様のための金策のこと」で・・・・・・

うぅぅぅぅぅぅぅ・・・・・・
コレ、コレ・・・・・・
康之にとっては、戦場での槍働きと同じように、主君のピンチを救ったことが自慢できることだったんだな、息子に「絶対伝えなきゃ!」ってことだったんだな
と思ったらもう、それだけで展示ケースの前で立ち尽くしてしまったのですよ・・・・・・
藤孝・忠興に対する想いが、とんでもなく溢れ出ているよ康之さん・・・・・

あと、実際に康之の自筆かどうかは確証がないようなのですが(「伝松井康之筆」となっているしね)
もし自筆だった場合、すごくはっきりした男らしい字だなぁと思って。
なんか「松井康之の字」だなって思ったんですよ(暗示にかかってるのかもだけどww)

で、で!これが自筆だったなら!!!
一つの書状の中で康之自身が『藤孝様』と『忠興様』と書いているんですよぉぉぉぉ!!!!!!!!!
ナニソレすごい萌えませんか!?!?!?!?!?!?

もうこの『藤孝様』『忠興様』という字を観に行くために、何度もこの展示品の場所に足を運びましたよねww
康之が書いた『藤孝様』『忠興様』の文字が良すぎて、ここだけスキャンしてデータが欲しいと思いました(気持ち悪いオタク)

最後の展示品で崩れ落ちる

ラストの展示室では「茶の湯」関連のモノが並んでいて、最後に展示されていたのは「白磁象嵌藤花文茶碗」というものでして。
九州の八代近辺でつくられていた焼き物を紹介する中で出展されていたようなのですが・・・・・・

最後の最後に『藤』の花の文様の茶器で〆るとかさぁ・・・・・・・・・・・・・・
意図的なのこれはやはり??????
「松井康之像」から始まり、『藤』の花文様の茶器で終わる、そんな展覧会だったんですよ・・・・???
何?どういうこと???????????

松井家は、『藤』孝が礎を築いた細川家を大事にしてきたよって暗示なの???????
もはや自分のオタク脳がヤバすぎて、こんな思考にしかならないんですけど??????
意図していなくても、偶然にこうなっていたならそれはそれで萌えるので、まぁ、オタクの勝利なんですけども(笑)

と思ったら、本当の最後の最後にとっておきが!笑

想定外に茶器で崩れ落ちていた私、最後の最後に大物が残っていることに気づき、一気に爆笑モードにwww
そう、一番最後に5mにも及ぶ興長の例の自筆諫言状について、本物の書状の写しとその全訳が裏表になってパネル展示されていたんですよwwwwwwww一枚板の木の大きなテーブルにででーーーん!とwwwwww
もう、ホント、この展示センス素晴らしいなwwwwwwww
なんとなく、このあたりは八代市立博物館さんの影響なのではと思っちゃいましたwww
八代市博さんは、毎回本当に展示の説明が丁寧でわかりやすくて、とても素晴らしいんですよ!(歴史や美術等々の知識ゼロなうちの母も大絶賛していたくらい)

このパネル、横は2mくらいかな?で、縦に3段(最後の段は2/3くらい)にわたって全文が載っているのです。
素晴らしいわぁこの展示wwww興長の執念に共鳴してる感じww
欲を言えばコレ、是非、隣にちっこく綱利からの返事も載っけてほしかったなぁwwww
熱量の食い違いにさらに爆笑してしまったと思うwwww

いやぁ、案の定、長くなってしまいましたが(苦笑)
本当に、こういう企画はオタクにとってありがたい限りでした。
たいへんたいへん楽しかったし、数百年たっても、細川と松井の縁がきれずに続いていることが目に見えるかたちで表現されていて、何度も「グッと」きました。
今後数百年も、同じように両家の史料や美術工芸品が後世に受け継がれ、途切れぬ縁を持ち続けますように・・・(祈)
関係者の皆様、楽しませていただきました!感謝感謝です!