細き川に溺れたい

   Volo equitare in unda FOSOCAUA... 細川家に関する独り言を綴るだけ

細川忠興が烏丸光広に贈った琴!?


別件を調べている最中に偶然たどり着いたメトロポリタン美術館(MET)のホームページで、ふらっと「yusai hosokawa」って検索したら、お箏がヒットしたんですよ。

うん?お箏???


となって、詳細を眺めていたら、最後の方に「Hosokawa Yūsai」「Yūsai's son-in-law, Karasumaru Mitsuhiro」「Yūsai's son, the daimyo Hosokawa Tadaoki (Sansai)」って確かに書いてあるぅぅ!!

このページです。


田辺城籠城戦の後に、「父を助けるために動いてくれてありがとな」って感じで、細川忠興烏丸光広に1,000日かけて作られたお琴を贈った、と????
そしてコレがそのお琴だと!?!?!?!?
えーーー???そんな話あるんすか!?!?!?
ちょいちょいちょいwww英語でそんな新情報もたらされるとか思わんやんかぁぁ!?笑

箱にどどんっと蒔絵かな?されているのは、烏丸家の家紋らしい。
えぇぇ。。。忠興そんなことしてたのおぉぉぉ。

早速「忠興 光広 箏」とかで検索してみたけど、よくわからぬ・・・ぐぬぬ・・・・
いったい出典はなんなのかぁぁ・・・・・

と思ってたら、こんなんが引っ掛かった↓(Weblio辞書より)

たまのうてな【玉台】
地歌箏曲の曲名。烏丸光広作詞。松浦検校作曲。細川忠興の次女をめとった時に、光広が三味線に添えられた七言一句「玉台是恋慕涙川」の意を歌に綴ったものに、曲をつけたもの。その三味線伴奏の原曲と合奏できるように箏の作曲をしたのは八重崎検校で、尺八を入れて三曲合奏とすることが多い。


をををを!?!?なんじゃこりゃ!?!?笑

うーーーん、烏丸家に嫁いだ細川家の娘というと「忠興の娘の万」ですが、それは光広の息子の烏丸光賢の正室ですよね。そう、忠興が溺愛していた万ちゃんです。
万は次女でもないしねぇ。次女というと、松井興長に嫁いだ古保になるのかな?

というかMETの説明文でも「幽斎の義理の息子:光広」ってなってるんですけど、うううーーーーんんん。そんな事実あるぅ????
弟子の一人である中院通勝には、確かに幽斎さんが養女とした人物を嫁がせてはいるけれども、光広にも側室あたりに誰か養女を嫁がせていたのかしら・・・??


これ、もしかしてこの箏は、万が光賢に嫁ぐときに忠興が烏丸家にプレゼントしたってオチじゃないのだろうか??笑
で、そのお祝い事のために万にとって義父である光広が詞を書いたのでは??
そして、忠興から贈られた箏でこの筝曲を演奏したのでは!?!?!?

と、思ったけど、実際に筝曲・地歌になったのはもっと後か(作曲者の八重崎検校は18~19世紀の人だった)

毎度のごとく、妄想という名の風船を膨らませてみては、すぐに割れるww
いやぁ、でも、烏丸光広に幽斎さんの娘や忠興の娘が嫁いでるとか聞いたことないしなぁ。
息子の光賢に孫を嫁がせている前に、幽斎さんが光広に娘(養女?)を嫁がせてるかなぁ。嫁ぐにしてもたぶん側室だろうしな。

うーーーむ、箏のこともわからなければ、光広本人に細川家の誰かが嫁いだのかどうかもわからない、謎が深まるだけでしたww
ネットの海を漂っていると、こんなことにもぶち当たるんですねぇww