細き川に溺れたい

   Volo equitare in unda FOSOCAUA... 細川家に関する独り言を綴るだけ

どうして細川に惹かれたのか

なぜ「細川幽斎」「細川家」に惹かれたのだろう?

軽く自己分析もしておこうかと思う。メモ的なもの。


何回も言うなって感じですけど、私は日本史に興味がないし詳しくもない。
三英傑とか、伊達政宗とか、真田丸とか、島津兄弟とか、毛利家とか、わりと一般的な知名度もあって人気のある人物や大名家にも、惹かれたことがないし、多少中世とか戦国時代なんかに詳しくなった今も、彼らそのものには興味が持てない。
ただし、細川家が関わる部分は全力で興味を持つ(現金)

なんだけど、細川家はもう、好き。
なんかこう、好き。好きなんだよなぁ。

それはなんでだろう。


①細川家の立ち位置

天下人の家や有名な大名家と比べても、近世細川家の特徴的な部分は「どんな人物のもとでも家を存続させてきた」ってことかと思う。

私は特に「天下を狙う」ということにロマンも感じないし、そういう人物や家に惹かれないんですよね。
同様に「天下を逃した」という人物にも興味は抱けない。
それよりも、穏やかな海も荒れた海も泳ぎ切る、どういう人物のもとでもなんだかんだ必要とされる細川家が好き。

箇条書きにすると↓の感じ?
◆文武両道の気質
◆天下を狙わず、自分の周囲(一家、一門)を存続させることに全力
◆家臣も含めて、受け継がれてきた書物や品を大切にする
◆中世~現代にいたるまで、家が存続している

キーワードだと「興味の幅が広い」「継続の力」「美的センス」みたいな感じだろうか。

大名家としての存続を第一としつつも、文芸的なもの、行政管理的なものにも手を抜かないのがいい。

細川幽斎という人物

細川関係の中でも、沼にハマるきっかけを与えてくれた「始まりの人」である幽斎さんは、個人的に本当に特別枠。
調べれば調べるほど、好きになる。

堂上であるか地下であるか、公家であるか武家であるかに関わらず、当時彼の近くにいる人、よく関わる人からだって、基本的には尊敬のまなざしが多いの本当すごい。
幽斎さんに誰より厳しいのはたぶん忠興ですよね(笑)

なんでもできちゃうリアルチート。
それは間違いないんだけど、そのチートの向こう側にはちゃんと努力の跡がある気がして、とにかく自分の興味があることに対して、常に全力で学んでいる姿勢が好きなのかな。

あと正室・麝香さんとの夫婦がもう、本当に好き。
遺像があのカタチで残っているのが尊すぎて、泣けてくる。

私はもともと世界史選択で、かつ世界史の中では美術関係の歴史に一番興味があった。
ルネッサンスの万能人にもとても惹かれるものがあるのだけど、なんかかぶる部分があるのかなぁ幽斎さん。
ただし、ルネッサンスの万能人たちは、チート気味ではあるけれど、かなり人間臭い部分も多い。
対して幽斎さんは、どちらかといえば人間臭いところは少ない気がするのだけれども(「兼見卿記」に出てくる、従弟に無茶ぶりする幽斎さんは除くw)

③初代~三代までの個性

近世細川家の初代・幽斎、二代・忠興、三代・忠利。
この3人が、それぞれの時代に合致した当主であったことは細川家にとっては大きいですよね。
生まれたときの状況、育った環境、興味関心や大切にする軸の違い・・・
この3人を比較しながら眺めると、中世~戦国時代~江戸時代初期のことについて理解が深まる気がする。

  • 穏やかで知性的、柳のように流れに逆らず、道を誤らずに細川を導いた初代
  • 苛烈で激情的、鞭のようにしなやかな力を用いて細川を走らせてきた二代
  • 緻密で理性的、理屈っぽく空気を読みまくって細川を固めてきた三代

この3人が、まさに細き川だった家を、大海に続く確かな川にしてきたんだよなぁ。好き。

④魅力的な家臣

世襲制の三家老家をはじめ、家臣団も魅力的なんですよね。
松井家・米田家・有吉家は、幽斎さんが足利幕府から離散したときから従っていて、本当に細川とともにあった家。
この家老家にも、文武両道だったりする人物が多くていい。

特に松井家はね、すごくいいですよね。
近世松井家の初代といってもいい康之は、三英傑全員から直接領土を安堵されていて、細川家の家老でありながら、天下人の直臣でもあるみたいな特殊な立ち位置。
特に秀吉からは、大名として取り立てるって引き抜きの提案があったわけだけど、「幽斎・忠興に恩があるから」ってことで断ってる。しびれるぅぅ。
さらに千利休との関係性でも有名ですよね。

勝龍寺以来とか、丹後以来とか、国替えに合わせて「いつから家臣になったか」ってのが一つのステータスみたいになるのも面白い。

あと、大政奉還後に、熊本城で保管していた様々な武具等が放逸されるのを防ぐため、小身の家臣たちが積極的に自分の家に預かったって話がもう、本当に好きで。
「細川家・熊本藩に残っている物は国の宝でもあるのだから、我々が守る!」ていう気概に泣く。
ちゃんと預かり証をつくって管理して、もしもなんらかの事情で自分の家で預かるのが難しくなったらお返しして・・・みたいなやりとりも残っている。

こういう家老・家臣団がいたからこそ、「細川家」は存続してきたんだろうなぁ。


まとめ

ただの雑感になったけど、つまりは「細川という家の志向性に、私の感性がマッチしていること」というような一番大きな要素なのかな。