細き川に溺れたい

   Volo equitare in unda FOSOCAUA... 細川家に関する独り言を綴るだけ

細川幽斎と碁 / 論文紹介


幽斎さんはけっこう碁も好きだったらしい。
そんな感じで論文を1本ご紹介。

増田忠彦, 資料にみえる 碁の上手たち(江戸時代以前の碁打たち), 大阪商業大学アミューズメント産業研究所紀要, 15, 307-361, 2013

気になるなぁって方は是非、こちらからどうぞ

奈良時代安土桃山時代までの、資料に出てくる碁打ちのことを羅列している内容です。
もちろん(もちろん?)幽斎さん関係以外はきちんと読んでいないので、割愛させていただき・・・

安土桃山時代の碁打

という章の部分に、ちょこちょこちょこちょこ幽斎さんの名が現れます。
ホントちょこちょこ出てくるんですよ・・・ww
自分で碁会を催してもいるし、他所へも出かけているって感じでしょうか?

もちろん幽斎さんだけでなく、吉田兼右や兼見がぽろぽろ出てきたり。
というか「兼見卿記」の内容がばんばん出てくる(笑)
兼見と同様にこの時代の研究ではよく重宝されている「言経卿記」もたくさん取り上げられてます。その記事の中には「南禅寺三長老」「建仁寺雄長老」ってのも見えるので、松井康之叔父の玄圃霊三や幽斎甥の英甫永雄もちょこっと出演している。
それから、兼見の弟である梵舜の日記「舜旧記」の記事も出てきます。
あ、この論文ではきちんと「幽斎と兼見は従兄弟」と書いてくれています!よかった!

論文中でもちょいちょい触れられていますが、慶長の最初らへんに吉田神社南禅寺などでの碁会には家康も出ていて、そこに幽斎さんや兼見なども同座している。
吉田神社南禅寺に細川家界隈の血縁者も多かったことを鑑みると、やはり関ケ原に至るまでの間に、細川家は徳川方(東軍)につくっていうのは当然の流れだったのかしら。

武将の囲碁好きは多くいるが、腕前は幽斎が頭抜けていたのではないか。

はい、いつものとおりに論文読んでいて興奮した一文も引用!
幽斎さん、あなた・・・碁打ちでも頭抜けていたの・・・なんなのホント・・・・好き・・・・