細き川に溺れたい

   Volo equitare in unda FOSOCAUA... 細川家に関する独り言を綴るだけ

幽斎・麝香・忠興の容姿に関する妄想

幽斎・麝香・忠興の容姿について妄想していることがある

幽斎さん、麝香さん、忠興は、それぞれ遺像が存在していておおよその容姿がわかる。


検索エンジンの画像検索などでもいっぱい出てくると思う。
忠興については、黒い布衣(?)を着ている壮年時代のものと、「ザ・三斎!」みたいな茶人風の方と両方見てほしい。

まずは父と息子

幽斎さんと黒い忠興を比べると、鼻と口元あたりが似てるかなって気がする。
さらに忠興は、溺愛していた娘・万(烏丸光賢側)への元和6年閏12月25日の書状の中で、「頭を丸めたら幽斎そっくりになって肝をつぶした。歌道を知らない幽斎だと思ってくれ」という感じのことを自分で言ってるんです。
この発言、もう本当に色々と感情がわきあがるわけですけども・・・!
(幽斎さんへの複雑な感情が透けて見えるけれど、気を許している娘に対して、冗談っぽく本心を伝えている感じがして「ただおきぃぃぃぃぃ」って叫びたくなる感じのアレです)

でも、そう、指摘したいのは、晩年の忠興(三斎)は、自分が幽斎さんに似てるって自覚していたと言えそうってことです。

続いて母と息子

次に、麝香さんと茶人三斎を比べると。
黒い忠興と比べると、茶人三斎はかなり頬がこけていて、こう、気難し度が増し増しな感じ。
なんだけど、頬がこけた分だけ、麝香さんとかなり似てない・・・・??似てるよね・・・??

ところで、麝香さんのかっけぇエピソードがあってだな

で。
1600年の田辺城籠城戦の時、麝香さんは女だてらに具足をつけて城内を見回ったり、相手方で城内に気持ちを寄せていたため空砲を打っていた人を、紅や白粉を使って書き留めていたと言われている。
麝香さんマジかっけぇエピソードの最たるもので、私もめちゃくちゃ好きな逸話なんですけれど今日はその詳細は省き。

気になってるのは、「具足を付けて城内を見回る」ってところ。
籠城戦の際には、領内の支城を捨てて各地から家臣たちやその家族が集まっていた。
さらに日ごろから懇意にしていた寺社の僧兵なんかも参集してくれていたらしい。

ということは、あまり普段は幽斎さんや麝香さんの近くに侍ってはいない味方も多かったのではなかろうか?
そうなると、正直言って大将たる「細川幽斎」の容姿に見慣れていなかった味方ばっかりだったかも・・・?

ここから妄想はエスカレートする…

で、で。
幽斎⇔忠興は肖像画で見ても忠興の自認としても、麝香⇔忠興は肖像画でみると、容姿に似通った点があると言えそう。

で、で、で。
A=B、C=Bであるならば、A=Cと言えますよね・・・・????

お?おお???

ということは、幽斎さん、麝香さんは、見た目にも似たもの夫婦だった可能性が微レ存以上にありえるのでは???

で、で、で、で。
ミラールックな夫婦であったならば、籠城戦の際に麝香さんが具足をつけて見回っていたのは、実は「幽斎さんの代わりに、幽斎さんと見立てて、城内の士気をあげるために行っていたのではないか」って考えられたりしなくもないのでは・・・・????
つまり、あまり幽斎さんの容姿に見慣れていない人々であれば、影武者的なことを麝香さんができたのでは・・・・・????


うわぁぁぁぁぁなんだよ夫婦で影武者できるってぇぇぇぇぇぇ
さいこうかよぉぉぉぉこの夫婦ぅぅぅぅぅぅ

っていう妄想でした。
(本当にただの妄想ですwwwwwこんだけ長文で何を語っているのかwwwww)


あ、容姿といえば、肥後細川家の末裔・細川護煕氏が、幽斎さんと似ているってのはよく指摘されることですよね。
漫画「へうげもの」でもばっちりいじらr・・・描かれてますが(笑)、確かに似てると私も思います・・・
400年の時を経て、幽斎さんの血が浮上しているのだろうか・・・