細き川に溺れたい

   Volo equitare in unda FOSOCAUA... 細川家に関する独り言を綴るだけ

幽斎麝香夫妻の遺像

幽斎さんと麝香さん夫妻の遺像について

まずは幽斎さんの遺像

細川幽斎の肖像は、わりと有名だろうか。
インターネットとかで「細川幽斎」と検索すればすぐに出てくる絵だけれど、あれは死後に作成されたもの。
遺像というやつですね。


幽斎さんの遺像は、何点か残っている。(京都南禅寺天授庵の所蔵品、永青文庫の所蔵品ほか、後年写されたものなど)
永青文庫所蔵の方は、こちら
説明には、””幽斎の三回忌に夫人の光寿院が田代等甫に命じて制作させ、息子の忠興が幽斎の色紙を選んだという。(『綿考輯録』)””と書かれている。

一方、南禅寺天授庵の像は、以心崇伝による讃が描かれている違いがあるけど、光寿院が命じたってのは一緒。
こちら重要文化財でもある。



どちらも同じ構図ですし、原本があってそれを複製していった感じですよね。
元絵は、永青文庫さんの説明のとおり、田代等甫が描いたのかな。

いずれにしても、麝香さんが望んで描かれたってところがポイントですよね。
麝香さん尊い・・・夫を弔う気持ちでつくってもらったのかなぁ・・・麝香さんさすがだなぁ・・・

幽斎麝香夫妻について

幽斎さんと麝香さんは10歳差。戦国ではそんなに珍しくない年の差でしょうかね?
ともに足利幕臣の子で、一説には十二代将軍・足利義晴がこの縁組を望んだと言われているそう。
2人がかなり若い(幼い?)頃から既にその縁組は決まっていたようなのだけど、実際に婚礼を行ったのは幽斎さんが二十代後半になってからだったっぽい。
なんせ長男の忠興(熊千代くん!)が産まれたのは、藤孝29で麝香19のとき。
その前年に結婚していたとしても、それぞれ28歳と18歳。
麝香さんはまだしも、藤孝は戦国時代でいうと遅い方ですよね?
(例えば忠興と玉は、お互い16歳のときに結婚している)

このことから、「実は藤孝には前妻がいたのでは?」みたいなことを言っている方を見かけたことがある(出典をメモってなくて詳細不明だが・・・)
あるいは、藤孝十代後半~二十代は、足利幕府が弱体化していて京にいることができず放浪していた苦しい時期で、不安定な身上だったために、結婚が遅くなったという見方もあるみたい。

で、一説には藤孝さんには麝香さん以外の側がいたらしいことが指摘されている。
こちら↓など。
blog.goo.ne.jp

藤孝女の"加賀"の母は、麝香ではなくて、黒田藩の「加藤重徳の妹=伊丹康勝女」と書かれている史料があるらしい。
加藤重徳のWikipediaには、姉妹の1人が「細川藤孝幽斎内室」と書かれている。

なのだけど、細川家の正史・みんな大好き「綿考輯録」では、妻は麝香さん一人としている。
つまり細川家の公式見解としては、藤孝の妻は麝香さんだけなのだ・・・!
(※綿考輯録は、江戸時代に様々な史料をソースに細川家内でまとめられた初代幽斎~4代光尚までの記録。たまに眉唾なエピソードもそのまま掲載してたりするのですべてが正しいとはいえない)

家記によると、幽斎さんの子どもは全員麝香さんが産んだとのこと。
なんと8人いた!(夭折した子、家記に載っていない子まで含めると10人?)
幽斎さんが50歳過ぎ、麝香さんが40歳頃にも子どもができているんですから、仲の良さは説明不要でしょう。

話しを遺像に戻そう。

麝香さんの遺像について

麝香さんは幽斎さんの死後7年たって、1617年に江戸で亡くなった。
その死後、永青文庫所蔵の方では長男・忠興が、天授庵所蔵の方では四男・孝之が望んで遺像を作らせた、とされている。
忠興の方は、麝香さん死後1ヶ月もたってない頃に、「肖像を描くように命じた」っていう書状が残っているそうで、それが永青文庫所蔵の遺像であるらしい。

ここから本題なのだけど(前置きが長すぎる)、寿像(生前の姿)は向かって右向け、遺像は向かって左向きに描かれるのが通常なんだそうだ。

幽斎さんの遺像も、きちんと左向きで描かれている。
武将としてよりも、扇をもって、柿本人麻呂像を基に「歌人」「文化人」としての側面を強く意識されている。

で、だ。
麝香さんの遺像は・・・
そう、右向きに描かれている・・・!!
さらには立膝で、手まで合わせている・・・・・・!!

これは、もう、アレですよね・・・おわかりですよね、皆さん・・・・・!?!?

そうなんですよ・・・・幽斎さんの像と・・・・並べて・・・・・・
並べて・・・・・飾られることを想定されて・・・・・
最初からそのように想定されて描かれとるんですよぉぉ・・・・・!!!!!!(滂沱の涙)

さらに言えば、忠興か孝之のどちらが指示したかはさておき(ちなみに2人は22歳差兄弟!)
息子たちから見て「自分の両親の遺像は向かい合った状態で飾るのが正」と考えていたってことですよ!?!?!?
「母親は常に父親を敬い、尊んでいた」と、一番上の兄も、一番下の弟も、実感しまくっていたってことでしょ!?!?!?

うわぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!ナニソレ尊いぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!

日本史詳しくない方でも(つまり私)なんとなくわかると思いますが、そもそもこの時代は女性の肖像画が描かれる(もしくは後世まで残る?)ことはあまり一般的でなかった。
そんな中、母親の肖像画を描かせるだけでなく、こんな粋な演出までして、両親の遺像を完成させるなんて・・・・
もうさ、やっぱり幽斎麝香夫妻は、一夫一婦であろうとなかろうと、細川家においては(子どもたちにとっては)、ニコイチというか、かけがえのないパートナーだったというか、そう、只管に尊い・・・・


ちなみに麝香さんの像の天授庵版は、幽斎像と一緒に重要文化財指定されてる。こちら
これも尊いな・・・夫婦一対で重要文化財ですよ・・・