細き川に溺れたい

   Volo equitare in unda FOSOCAUA... 細川家に関する独り言を綴るだけ

細川宗枕につながりそうな情報メモ(ただし空振り)


以前こちらの記事の最後に「細川宗枕」なる人物のことに触れました。

いまだに誰だか詳細はわかってはいないのだが、もしかしてなんか繋がる?っぽい?情報があったのでひとまずメモメモ。

(後ほど空振りだと判明しますが(苦笑)いったん勢いのままのメモを晒すw)


細川宗賢という人物がいる。
近世細川家(肥後細川家)好きな人にとっては、細川輝経、という名前の方が聞き馴染みがあるかと思います。
そう!細川忠興が継いだとされる奥州細川家の当主だった人物!
細川輝経 - Wikipedia


まぁ養子に入ったとはいっても、忠興はこの人の元で養育されたのではないっぽいので、系図上のつながりという側面が強かったのかなぁとは思うのですが。


実はこの人物の正室は、松井正之の娘だそうで!!!
つまりは松井康之の姉ってことですね!!!
そうかぁぁぁ。松井家を通じて姻戚的な感じになってたのかぁ!
上記のHPによると、義弟である康之の客分になってたりしたんですねぇ。

で、この宗賢(輝経)の夫人としてこちらの方がいるらしい。

・・・・ふむ、「清源院」とな・・・・
細川"宗"賢の夫人が"清源"院で、高桐院の子庵の"清源"庵を開基したらしいのは細川"宗"枕・・・・
ふむ・・・・ふむ・・・・


あれ!?もしかして「宗枕」は宗賢とこの夫人との間の子どもとかだったり!?!?笑


ちなみに輝経のWikipediaでは正室は「清光院」となっているので、↑のページに出てくる軌子=清源院は側室かなんかで、康之の姉とは別人なのかな?



と、盛り上がっていましたが・・・(不穏な空気w)


インターネットで「細川軌子」と調べてみると、細川重賢の妹で、宇土家の細川興里に嫁いだ「清源院軌子」という人物がいることが判明・・・(こちらの論文の6ページを参照)


おや?細川輝経の夫人ではない・・・・?


この人だと「細川宗枕」なる人物とはちょっと時代が合わないな・・・
つぅか、国書データベースの方も天明年間(1781年~1789年)に書かれた書物の作者が「細川軌子」ということみたいなので、細川輝経=宗賢の夫人ということではなさそうだな・・・?(最初にちゃんと調べなさいよ)


おーーーーのぉう・・・・振り出しに戻る・・・・???笑


とはいえ、↓の記事によると、輝経の娘の一人が三淵好重(幽斎さんの弟)に嫁いでいるようなので、私が思っていたより2つの細川家は婚姻等によってそこそこ強くつながっていたのかなぁ。
細川輝經について - 津々堂のたわごと日録

ならば、高桐院界隈に奥州細川家の関係者がいることもあり得る?


宗枕は幽斎・忠興と直接つながる方の細川家関係者だと思い込んでいたけど、奥州細川家の可能性もあったのか!?


私には驚きの情報だと思ったので、忘れないように(ホントにすぐ忘れるから・・・)メモしておこうと思ったんですが。
ほぼ空振りっぽい感じだし、茶番みたいになってしまったww


まぁでも今後なんらかのかたちで活かされる情報かもしれないからアップしておく・・・!!(無理やりポジティブ)