細き川に溺れたい

   Volo equitare in unda FOSOCAUA... 細川家に関する独り言を綴るだけ

歌かるたは細川家界隈で生まれた・・・? / 論文紹介

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「歌かるた」の誕生に関する論文をご紹介。昨年発表されたてホヤホヤ(?)の論文です!

吉海直人, 歌かるたの成立と細川家:付、三浦綾子作 『細川ガラシャ夫人』, 同志社女子大学日本語日本文学, 33, 11-21, 2021

こちらから全文読めます~

歌かるたの誕生に細川家が関わっている・・・!?

歌かるたがいつ、どのようにして生まれたかってのははっきりしていないとのこと。
この論文では、3つの資料をもとに筆者が私見をまとめておられるのだが・・・

  • 元和年代に中院通村が創始したのかも?
  • 細川忠興の側室である小也也(=秀岳院)が関わっているのかも?(元和元年以降に、彼女が娘のお万にかるたを贈っているので、元和期成立はあり得る?)
  • 細川忠興自筆の扇面加留多が明智玉に贈られたものだとしたら(←可能性は低そうだが)、1,600年の関ケ原以前に作られた現存最古のかるた資料かも?

と、いうことで、歌かるた誕生に関わる有力(っぽい)資料は全て・・・
そう、全て・・・・全ての道(未知)は・・・・
細川につながっちゃう・・・・・!?!?!?

※中院通村は、女関係でやらしかして()長い間丹後の幽斎さんのところに身を寄せていた中院通勝の息子。で、通勝には幽斎さんの養女が嫁いでいる。ので、ね?血のつながりはないが、幽斎さんの孫ってことだ。

筆者もこんな↓反応・・・ww

ここにあがっている史料のすべてに細川家が関与していることに気付いた。要するにどの資料に依拠しても、歌かるたは細川家に関わるところで誕生していることになりそうだ。それは細川幽斎が古今伝授の第一人者であり、後水尾院・中院通勝・烏丸光広などの公家とも師弟関係を結んでいるからであろう。

今回の論文だけでなく、これまでにも「歌かるたの誕生に細川家とその周辺が関わっていそうじゃね?」ってのは指摘があったらしい。
細川家・・・・どこでも出てくるなホントww

あ、資料三点目の忠興自筆の加留多については、三浦綾子先生の小説で玉へと贈られた加留多と同一視されてるところがあるんですよね。(この加留多のことです。キャプチャ画像にも使わせてもらいました)
でもまぁ、展覧会などで出品されているときの成立年代と合致しないところもあると今回の論文でも指摘されている。

というかむしろ、忠興がお万を溺愛していたことを考えると、小也也とお万のために忠興が加留多をつくったって可能性の方が高そうかなぁとか思いましたね。

寒い茶室にあがる忠興のために、現在の地下足袋の原型をつくったとされる麝香さんの血が確実に息子にも流れているのかもww
(↑もちろん諸説あり、です)

あとは、やっぱりこういう系の話は「あの文芸のデパート・細川幽斎の周辺ならこういうことが起こっても不思議じゃない」っていう共通認識もありますよね、きっと。
確かに幽斎さんやその文芸仲間たちが、和歌を覚えるのにこういうのがいいよってブレインストーミングとかやって考案した説はありえそう?笑

はぁ・・・!しかしこういう論文は嬉しいし、楽しいですよねホント!
色んな側面から多角的に細川家を知ることができると、ワクワクが止まらない。
研究者の皆さま、何卒・・・・細川を・・・(なんのお願い)