細き川に溺れたい

   Volo equitare in unda FOSOCAUA... 細川家に関する独り言を綴るだけ

沼田麝香は細川マリアだったのか?


細川藤孝(幽斎)の正室であり、細川忠興の母である沼田麝香。
彼女は、長男嫁である明智玉(細川ガラシャ)が関ヶ原合戦直前に大阪の細川屋敷で死んだ後、翌年に受洗したらしい?
忠興が小倉に転封となった後、小倉で出会った家臣の影響で受洗したとか?(小倉入部という人物により受洗?)

こういう話がインターネットで検索すると出てくるわけですが、この根拠となっている史資料ってあるんだろうか・・・?


と、検索してみたが、よくわからず。
こんな時は図書館のレファレンスに頼ってみるか・・・!?と思い立ち、初めて依頼をしてみた。
その結果!

よくわからなかった!!!!!笑

まぁ、予想された結果ですよねww
とはいえ、色々とお調べいただいた内容を教えてもらえて、とても助かりました~!
各書籍のページ情報といった詳細も提供いただいたのですが、ブログには教えてもらった情報の一部を要約しつつ、上げておきます。

JapanKnowledge Libより

「細川マリア」でヒットする。忠興が小倉に転封後に洗礼を受けてマリアと名乗ったとされているが、受洗はうたがわしい、という内容。

日本史広辞典より

こちらも「細川マリア」で記述あり。イエズス会の報告には「ドンナ・マリア」と出てくる一方、キリシタンに好意は示したが異教徒だったとも記されているらしく、受洗はしなかったと考えられるとのこと。

日本歴史大辞典より

こちらも「細川マリア」。内容はほぼ同上かな。慶長6年(1601年)忠興が小倉に入部して以降に受洗してマリアという霊名だったという記述もありつつ、好意は厚かったが受洗はしていないという表記も。

カトリック大辭典 / 日本女性人名辞典 より

前者は「細川マリア」、後者は「光寿院」で出てくる。これらには慶長5年(1600年)あるいは慶長6年(1601年)以降に受洗して、洗礼名はマリア(マリヤ)という表記あり。

十六・七世紀イエズス会日本報告集(第1期 第4巻)より

これには”越中殿の母親ドナ・マリア”や”彼の母のマリア”と出てくるそう。


上記の情報も踏まえつつ、めちゃくちゃ個人的な印象ではキリシタンに好意的だったが、受洗はしていなかった」というのが真実っぽいなって思ってます。


麝香さんが生涯敬っていただろう細川幽斎という人物は、あまり特定の宗教や宗派に固執する人物とは思えないなって、ずっと感じています。
そんな殿をずーーーっと見てきた麝香さんが、いくら嫡男嫁・明智玉の悲劇的な最期があったからといって、自らキリスト教に帰依するとは思えない。んですよね、私は。
ということで、受洗はしていなかったけど、好意的ではあったから「ドンナ・マリア」とか言われていたのかなぁなんて。
いや、基本的には受洗していないと洗礼名で呼ばれないはずではあると思うんだが、領主の母としての敬意を表す的な?感じで?

(あるいは、清原マリアと色々ごっちゃになってないかなぁという疑問も・・・ガラシャに洗礼を施したことで有名ですが、実は彼女はキリスト教を後に棄てていて「寿光院」という法号を持っているらしいんですよ。「光寿院」と「寿光院」。間違えそうじゃね・・・!?笑)

しかし、初めて利用しましたが、いいですねレファレンス。
今後もちょいちょい利用したいなって思いましたわぁ。
(特に法号で出てきて誰かよくわからない人を調べてもらうとか!?笑)
(以前の「智光院」とか「全斎」とかもレファレンスで聞いてみれば一人で悶々とする時間も短かったんじゃね?笑)