細き川に溺れたい

   Volo equitare in unda FOSOCAUA... 細川家に関する独り言を綴るだけ

東寺の空盛は細川藤孝の近親者?(前編)


以下の論文を読んでいたら、細川藤孝の近親者であろう「観智院空盛」という人物がいるということを知りました。
誰!?!?
ってなったので、メモメモ。

生嶋 輝美, 家臣団形成期の細川藤孝と「東寺の宗及」, 年報中世史研究, (48), 99-129, 2023


ちなみにこの論文、東寺周辺にいた宗及(≠津田宗及)の史料上の動きを見つつ、藤孝さんとの関係性や、初期の藤孝さん家臣団のこと等が触れられている。
けっこう読み応えがあった!
新しい論文なので、気になる方は是非読んでみてください~


さて、この論文で藤孝さんとタイトルにも出てくる宗及という人物と同じ連歌会に同席している人物として「観智院主の空盛」が出てきた。
この人物は「永雄と同じく藤孝の近親者とみられる」とされている。
ほぉ・・・・・誰!?!?笑

論文の注では以下のことも触れられていた。
東福寺善恵軒に関して、藤孝さんの近親者である玉蔵主に問題があり、その件について空盛と永雄が東福寺不二庵に連署状を出している。

②文禄三年(1594年)に藤孝さんの異母弟である宝厳院・恵祐が亡くなった後、空盛が観智院主から宝厳院主に移っている。

③「慶長日件録」にも名がみえ、秀賢宅に出入りしている。舟橋家の関係者なのかも?


既にこの時点で「玉蔵主って誰??」「恵祐って誰!???」ともなるわけですがwww
彼らについては、別記事で話題にしたいと思います。それにしても、1本の論文の中で誰!?!?案件が目白押しww笑


さて、空盛に話を戻し。
観智院も宝厳院(現存はしていない)も東寺の子院のようなので、東寺にいた僧ってことですな。

東寺百合文書で「空盛」と検索すると1つだけヒットした。
(ちなみにヒットした文書には、「恵祐」も載ってる~)

細川家関係の禅僧を調べる時にもお世話(?)になった↓のHPでも、観智院の第9代住職に「空盛」という名がみえる。
東寺観智院 - SHINDEN


清原国賢が関係している書物に「假観智院空盛手写之」というものもあるらしい↓
三略抄 | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ


「慶長日件録」の記録によると、「東寺法厳院」として舟橋秀賢の家へ訪問したりしているらしい。
一点、気になっているのは秀賢の妹が「東寺執行室」であるらしいこと。
この東寺執行が誰なのかがわからないけど、舟橋家⇔空盛とをつなぐ人物なのかしら?

ちなみに、ネットで検索していたら、ポロポロこの人のことだと思われる内容が見つかったのでメモメモ。

この論文(なのかな?かなり古い)だと、とある本の奥書にこんな感じで空盛が出てくるらしい。

又本云
西院本ア於慈母禁忌中書寫畢偏爲無上菩提也
干時天正十年仲秋廿五日 東寺觀智院 權律師空盛

これを見ると、母親の「禁忌中」に書写したってこと?母が病気?妊娠?もしくは亡くなって喪中とかってことか????
この母親が清原家/舟橋家の関係者だったりする、のか・・・??
天正十年時点では観智院にいて、権律師なのでそこまで高い地位にはいない?

また、こちらの論文には、とある本の奥書にこんな感じで空盛が出てくるらしい。

天正十七暦中春廿七日
宝厳院 空盛

前述の文禄三年(1594年)より早い、天正十七年(1589年)には既に宝厳院に移ってますね、空盛・・・??
ぬーーーん??この時点では院主は恵祐だけど、普通の僧(?)として空盛がいたのか??


こちら(一九二ページ)には、文禄五年閏七月に「寶嚴院空盛」として書状があるらしいことがわかる。

「義演准后日記」の慶長九(1604)年三月四日や十一日の記事にも「宝厳院空盛」が出てくる模様。

元和二年に刊行された書物に「宝厳院空盛」という名前が出てくる論文がヒット。
このHPの「密教学会報 第51号(2013.3)」の一番上の論文(11ページ)です。

角筆が見られる祖典ー高野山大学図書館蔵『即身成仏義』ー, 武内 孝善

観智院にいたのは天正年間のみで、宝厳院には天正~文禄~慶長~元和とかなり長い期間いたっぽい。
院主となっていた期間は、観智院より宝厳院の方が長かったってことかな。

あ!?待って!?!?
出典が何かわからんけど、Googleブックスで検索してたら「兼治親類東寺宝厳院空盛を訪問」という内容がヒットしたぞ????
おおおお??兼治ってことは、吉田兼治ってことよな???吉田兼見の息子の???細川伊也の旦那の?????
ということは吉田家の親類なのね空盛????
もしくは兼治母方の縁者という可能性も?
「兼見卿記」の注記によると、兼見の妻「靑女」は佐竹氏とのこと。明智秀慶=佐竹出羽守宗実のきょうだいらしい?
空盛は吉田家もしくは佐竹家関係ってことか!?!?
舟橋家にも出入りしていること考えると吉田家ともつながりがある方が可能性はあるかなぁ。ま、秀賢については妹の嫁ぎ先の関係で仲良しってだけかもだが。

今まで、細川家界隈の僧といえば「臨済宗!」って思っていたんですが、東寺界隈にもちょこちょこいたんだなぁ。

(ちなみに、永正十二年(1515年)に五十四歳になる「地蔵院空盛」という人物もいるようだ・・・これは年代がちょっとずれてるっぽいので同一人物ではなさそう)
(慶長年間に、堺天神社僧・吉祥院主の「空盛」という人もいるようだ。堺連衆による古今伝授という論文にちらっと出てきた。連歌もやっていた人っぽい?)
(わりと僧侶によくいる名前なのかな「空盛」・・・)


・・・・・・・
と、つらつら調べていたら・・・・・
とある本から決定的な情報が見つかったぞ・・・・・!?!?!?笑
ということで、次回ついに空盛の正体が!!!!!!後編へ続く!!!!笑