細き川に溺れたい

   Volo equitare in unda FOSOCAUA... 細川家に関する独り言を綴るだけ

三淵邸の庭 / 論文紹介


細川幽斎という人物は、もともと三淵家の出身。
これは、江戸時代に父親の出自のことを聞かれた忠興が、ほぼ唯一はっきり答えられた幽斎さんの出自に関する事実。
で、まぁ三淵家からは養子に出されたけれども、本家を継いだ兄(異母兄?)の三淵藤英とは足利義輝・義昭の両将軍に一緒に仕えていた。


(たぶん先が読め過ぎた)藤孝さんは、誰より早く足利将軍家から離れることになったので藤英とは袂を分かつことになったけれど、藤英とその嫡男である秋豪が信長によって切腹せしめられた後は、次男の光行を引き取って養育もしてることから、どう考えたって兄や本家への思いはあったはず。
また、三淵家の名跡は両名の弟の好重が継いでいて、細川家に仕えることとになる。(好重は先に幽斎さんの元に来ていて、その後三淵家の名跡を継いだってパターンもありうる)
つまり幽斎さんは、できる範囲で三淵の血と家の、両方を守ってるとも言えるのではないか・・・(血の涙)

で、今回はそんな三淵家のお邸にあったお庭に関する論文をご紹介。

清水正之, 山本繁雄, 大仙院庭園考, 大阪芸術大学 紀要<藝術>, 19, 51-56, 1996

こちらで全文読めます。

大仙院庭園

お庭関係とか詳しくないので、そのあたりのことはちんぷんかんぷんですが、大徳寺の北側にある大仙院の庭園。
作庭した人物にも古岳宗亘説とか、相阿弥説とかがあるらしいのですが、相阿弥作庭で移築っていう説がある。
さてその場合、移築ってどこから・・・・?

水淵家のお庭

「雍州府志」という山城国の地誌の中に、

大仙院之仮山東山同朋相阿弥之所作、而始在室町家臣水淵氏之家園。爾後移斯庭也。

という記述があり、どうも大仙院の庭は足利将軍家家臣の水淵氏のおうちにあった相阿弥作のお庭が移築されたものであると。
で、「京羽二重織留」という地誌にも同じようなことが書いてあるのだそうだ。

「水淵氏」とは、そう、「三淵氏」の表記違いですね。

この論文では、室町花の御所近くにあった三淵家の本宅の庭石が、藤英切腹後、藤孝と玉甫紹琮(藤英藤孝の弟、藤孝と同母とされる)によって大徳寺に移されたのだろうと指摘。
さらに玉甫紹琮が大徳寺に入院した天正十四年以降のそう遠くない時期に行われたのではなかと推測している。
(あ、玉甫はアレですね、忠興が幽斎さんの菩提を弔うために建立した高桐院の開基でもある人物です。以前のこの記事を参照ください!)

聚楽第の庭はもしかして・・・

で、「千代女書留」という書物の中に、聚楽第の築庭には細川幽斎千利休前野長康が関わったという記述があるらしい。
天正十六年四月に後陽成天皇行幸があるってんで、事前に聚楽第のお庭を整える必要があってこの3名が共同設計したのだそうな。
論文筆者曰はく、「千代女書留」で説明されている聚楽第の庭の様子は、まさに大仙院のお庭のことを言っているように思えるとのこと。

そう、天正十四~十五年頃に三淵家のお庭を移築した経験があるのなら、幽斎さんがその記憶も鮮やかなうちに聚楽第の庭にも同じようなテーマを詰め込んだとしても不思議ではないのではないかと・・・・・・・

幽斎さんの手ですくえるものすくえないもの

今回の興奮を呼び起こす一文は、論文のラストに。こちら↓

間違いなく幽斎は、三淵邸に残されていた庭園の價値を誰よりもよく知っていた。
大仙院へ移す場合も、忠実に元の姿の復元に努めたことだと思われる。

うぅぅぅぅぅぅぅぅぅ・・・・・・・・・・・・・・涙涙涙
なんかこう、なんかこうさぁ・・・・・・・・・・・
幽斎さんは切り捨てるべきもの、切り捨てるしか仕方ないものは、私情を挟まず冷徹な判断を下して手を離せる人だと思うんですけど、けどさぁ・・・・・・・・
こういう、自分が力を尽くせば残せるもの、美しくてなおかつ”誰か”の息吹が残るものをなんとか残そうとする人だってのが、もう、なんというか泣ける・・・・・・・・

三淵家という家を、幽斎さんがどう思っていたか、考えていたかはわからない。
でも、自分が生まれた家が持っていた素晴らしい庭を、どうにか残せないかと玉甫と云々考えて実行したのかと思うと、もう・・・・・オタクは泣くしかない・・・・・・

自分がすくえる範囲をよくわかっているので、それを超えてまではすくわない。それを非情だとか、言う人もいるんでしょう。
でも、自分がすくえるものは、努力してすくおうとするのも、細川幽斎というひとなんだと思うのです。

細川家のオタクになると、庭園史の論文を読んで泣ける・・・
大仙院には行ったことがないので、これは今後絶対に行って庭園を観なくてはいけませんな・・・

(というか、ずっと休止しているので、実はまだ高桐院にも行ったことないんですよねぇぇぇ。高桐院が再開したら、大仙院も含めて大徳寺周りを廻らないと!)

キャプチャの画像は論文からお借りしました