細き川に溺れたい

   Volo equitare in unda FOSOCAUA... 細川家に関する独り言を綴るだけ

随神庵と風車軒


「随神庵」あるいは「風車軒」とは、京都の吉田山に建てられた細川幽斎の庵のことらしい。


例のごとく、津々堂さんのブログより↓
幽齋公の居館 - 津々堂のたわごと日録
■川田順著・細川幽齋「歌仙幽齋」 歌歴(八) - 津々堂のたわごと日録


こちら↓によると、上のブログでも触れられている綿考輯録の記録からとられているのでしょうが、細川護貞氏の書籍に「吉田にある神龍池のそばにある館が風車軒である」との一文が載っているそうな。
歴史学者、研究者のための書籍『細川幽斎』書評前編|かたむき通信


「神竜院/神龍池のそば」というと、むしろ「随神庵」という名前の方が連想される気はしますね。
”神たる龍がいる場所”の近くにある、ってことで「神に(したが)う庵」って感じ?

「神竜院/神龍院」は、吉田山にあった臨済宗の寺院で、吉田家の菩提寺の一つとのこと。
はい、細川家界隈ではおなじみの臨済宗ですね(笑)
吉田神社の神主だった吉田家の一人であり、吉田兼右の息子であり、吉田兼見の弟であり、細川幽斎の従弟である梵瞬がいたところ。
梵瞬は、秀吉関係で有名な豊国廟に深くかかわる人物としても知られていますね。
神龍院は、吉田家に嫁いだ幽斎さんの娘である伊也が亡くなった場所でもあるらしい。
幽斎さん、マジで娘や仲の良い親戚んちのそばで悠々自適に文芸に励んでいたのが想像できるな~~ww

ただ、「風車軒」ってのは号の一つなのかもしれない?
國學院大學のデジタルミュージアムのHPでは別称の中に、幽斎と並んで風車軒を掲載している。
まぁ、風車軒に住んでいるから、この号という感じなのかもだけど。

この「日本随筆大成」なる本の中にも「風車軒(玄旨)」とある。
280ページのところなんですけど、幽斎さん以外に「藻蟲庵(長嘯)」と「夕顔庵(道春)」も載っている。
木下長嘯子と林羅山のこと、ですよね?
林羅山には別号として「夕顔庵」があるようですし、間違いなさそう。


「軒・庵」で検索したところ、「軒号」「庵号」の違いについて書かれているページがヒットした。
軒は”建物の中の一つの部屋”のことで、軒号は修業を忘れないために自ら名乗る雅号らしい。
また、軒号は「臨済宗曹洞宗」の禅僧に贈られるものでもあるらしい。
確かに細川家界隈は臨済宗だらけ・・・
庵は草ぶきの粗末な建物のことで、独立した建物そのもののことを指すっぽい。


そうか、つまり吉田山に「随神庵」という粗末なつくりのお宅があって、その随神庵の中に「風車軒」という幽斎さんが修業をする部屋があった、ということか!?
館の名前=随神庵、部屋の名前=風車軒
どうでしょうか有識者の皆さん!?!?


幽斎さん、機を見て仕える人物をうまいこと変えていったところから「風見鶏」と評されることもありますよね。
そういう意味で、「風車軒」ってなんだかとても”らしいな”と感じる。

余談だけど、幽斎さんの生年月日は旧暦で天文3年(1534年)4月22日、新暦で6月3日なんです。
つまり、彼の太陽星座は双子座。
双子座は「風」エレメントの星座なんですよ。
・・・・ね!?笑
「風車軒」ってとても合う~~~~!笑