細き川に溺れたい

   Volo equitare in unda FOSOCAUA... 細川家に関する独り言を綴るだけ

幽斎と近衛信尹と黒斎玄與 / 論文紹介 3本


今回は一気に3本の論文をご紹介。いつも以上に長いです。
論文3本といっても、私が気にするのはもちろん「細川家」や「細川幽斎」に関わる部分だけなので(開き直り)
本当に論文の極々一部のみにフォーカスしています。

白井忠功, 近衞信尹の旅 : 『三藐院記』と『信尹坊津紀行記別記』, 立正大学文学部研究紀要, 3, 71-94, 1987

白井忠功, 黒斎玄與の旅 : 『玄與日記』, 立正大学人文科学研究所年報, 27, 14-20, 1990

亀井森, 生田美津希, 鹿児島大学附属図書館玉里文庫蔵『阿蘇墨斎玄与近衛信輔公供奉上京日記』翻印, 鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編, 68, 15-1, 2017

1本目の論文

まず1本目の論文は左大臣でありながら朝鮮出兵に付いて行く!っつって、後陽成天皇の勅勘を被り嶋津坊津に配流となった近衛信尹の紀行文について。
信尹は、破天荒で有名な近衛前久の子。血は争えず。
論文でも父親の血を受け継いだのか行動的・激情的と表されているww当時の人の日記には「きゃうきに御成候」とか伝えられているww


で、私が反応したのは、本当にごく一部。

信尹が京を出るときに島津家久(又八郎・忠恒のこと。義弘の息子)に送られて、東寺で幽斎さんと逢ったらしいのですよ!
人に噂されるような「狂気的」なところがあったけれども、信尹はかなり文芸的な素養は高い人で、幽斎さんとも文学的な交流があったのだろうとのこと。
以下、論文より引用します。

都を離れ南国へ下る信尹を懇に見送っているのがわかる。幽斎・又八郎の二人は山城淀まで見送ったものか。

ご存知のとおり、秀吉の九州平定や薩摩仕置の際には、「島津担当」のようになっていた幽斎さん。
島津義久(龍伯)とは歌道においても交流があることでも知られていますよね。
そんな義久の甥にあたり、のちに島津家当主にもなる家久(忠恒)と、幽斎さんも面識はあっただろうと思いますし、忠興と家久(忠恒)は仲良しなんですよね。
家族ぐるみのお付き合いって感じだったのかしら。

とにもかくにも、こういう、知り合いの岐路にスルッとフレームインしてきちゃう幽斎さん、マジ幽斎さんだなぁと。
「歌でも詠みながら下向してみては」とかアドバイスしたのだろうか・・・・(cf. 九州道の記)

2本目の論文

こちらは、嶋津配流から許されて慶長元年(1596年)に京に帰洛する信尹に従った黒斎玄與という人物の日記の、京につくまでの前半部の内容を分析したもの。
日記自体は、後半部で京についてからの文化的交流についても記されている。

黒斎玄與は阿蘇惟賢といって、阿蘇宮司家の人だったのだけど、大宮司の椅子争い的なことがあって、父惟前と一緒に薩摩に亡命したらしい。父祖の代から島津家とは通じていた縁もあってのことのようだ。
その後なんやかんやあって(割愛割愛!)剃髪して黒斎玄與と称した後は、ひたすらに文学の道に没頭した方とのこと。

この日記でも、道中に信尹(=杉)や玄與が詠んだ歌を書き残していて、そのことについて論じられている。

のだが、こちらの論文も最後の方にちょろっと触れられている京到着後のことについてのみ、反応する私。

すなわち、玄與さんは京で「幽斎老」と出会えて交流できて感謝感激雨あられ!みたいになっているのである!!!!!!
京についてからのことは日記の後半部ということで、今回の論文で詳細は載っていないのだけど、幽斎さんとの交流だけは最後にねじ込まれているんですよ・・・!

玄與と幽斎との対面は、まさしく彼にとっては劇的で感激的なものがあったと想像したい。南国薩摩の一歌人が、都の代表的な歌人文化人との初見は、筆舌に尽し難いものがあったろう。

この論文の興奮を催す一文はこちら↑
玄與さん、わかるよ、興奮するよね、わかる。

3本目の論文

こちらは2本目で触れらている「玄與日記」とほぼ同じ内容である「阿蘇墨斎玄与近衛信輔公供奉上京日記」の翻刻。国父・島津久光が書写したものらしい。
ちなみに、「黒斎」なのか「墨斎」なのかは意見が分かれるところっぽい。
今回の玉里文庫本では「墨斎」となっているようです。
(いつもお世話になっているこちらのブログでは「黒斎玄与」と「墨斎玄可」という人物がいるというご指摘が。混同しちゃってる感じかな?)

で、2本目の論文では割愛されていた、在京中の部分を翻刻文ですが知ることができる!
もうね、「幽斎老」がバンバン出てきますよぉ!笑
特に誰かに紹介してもらいました、みたいなことは書いてなさそうだし、1本目の論文で見たように信尹と幽斎さんが知り合いであったことを考えると、信尹経由で書状とかでやりとりはしていたのかな?
あるいは、上記ブログを参考にすると、玄與と縁がありそうな竹原市蔵(=墨斎玄可)が幽斎にもらわれていったってことなので、この人物を通じてもつながっているのかも?玄可は幽斎さんの右筆でもあったらしいし、色んな書物の書写も許されているのだそうな。

私が読み解ける範囲で(つまりめちゃんこ間違っている可能性がある・・・)幽斎さんに関わってそうなところだけ抜粋。

まずは幽斎さんから使いの人が寄こされた感じかな?
その後、重陽(=9月9日?)に吉田より幽斎さんがやってきて初対面!「則拝(尊)顔也」と書いてありますね、よかったね推しに会えて!
吉田で幽斎さん、兼如(猪苗代兼如かな?)と一緒に歌詠んだりしている。


そのほか時系列で・・・

  • 10月1日、吉田から幽斎さんに付き従って名所を教えてもらう。
  • 11月3日幽斎さんと両吟を行い、4日八ツ時に百句成就する。

↑の両吟のことを里村紹巴に褒めてもらって一書もらった。

  • 同じく4日、幽斎さんお宿(随神庵のことかな?)にて毛利輝元との会合に立ち会う。飛鳥井殿(年代的に雅庸?)も同席。若狭少将(=木下勝俊、長嘯子)の発案で幽斎さんが伊勢物語の講釈を行う。ほかにもいろんな人が聴いていたみたい。
  • 15日、吉田へ上って、翌16日朝に幽斎さんところで、菊亭前右大臣(たぶん菊亭晴季?)と茶の湯をして玄與も同伴。その後に書院にて終日乱舞。幽斎さん四番目のお子である茶智丸くんも太鼓やった。
  • 18日、幽斎さんは碁の会をする。京中の碁打ちが集まってきた。本因坊杯。
  • 20日、吉田で連歌。日野大納言(年代的に日野輝資?)もいた。そのときの懐紙は、吉田神主(たぶん兼見かな?)が禁中から預かってきたもので、勅言を見ることができちゃった。<←林達也氏「細川幽斎年譜稿(二)」によれば、兼見を通して、天皇の見る所になった、という意味らしい。真逆やったw>
  • 22日、盛方院(医官の吉田盛方院?年代的に吉田浄慶?)のところへ行ったが、茶智丸くんは南禅寺に逗留したままで参った(←このあたりよくわからん・・・)
  • 23日、幸前(誰かわからん)が興行して幽斎さん発句?
  • 26日、南禅寺にて茶智丸くんが能九番披露。
  • 28日より、伊勢物語の注を書写する。八条宮智仁親王が幽斎さんへ伝授した注のこと。
  • 12月5日、常真(織田信雄)のところで幽斎さん能九番を披露。茶智丸くん三番。
  • 12月9日には幽斎さんが丹州(丹後)へ下向。書写するものが多かったので、玄與は留守を預かった。
  • 慶長2年、伏見の幽斎さんお屋形にて年を越す。

<この間、信尹はもちろん、紹巴やら、兼如、勧修寺殿、一条殿、冨田殿、広橋殿などなど様々な人に会ってる>

  • 1月28日、幽斎さんが上着。吉田でお目にかかる。(玄與の?)娘へくくし小袖(=括り染めの小袖)をもらった。
  • 29日、幽斎さんが伏見へ下向するのに同伴。大仏御門跡に行く。
  • 2月1日、古今真名序のせいだくを伝授される。
  • 7日、信尹のところに幽斎さんを案内。
  • 11日、幽斎さんから飛脚が来たので、一条殿の連歌に参加しようとしていたけど伏見へ行く。
  • 12日、東条殿にて黒田如水の餞別興行。幽斎さん発句?

<2月中旬は伊勢参りに行った>

  • 28日、吉田にて幽斎さん興行。黒田如水や日野殿、飛鳥井殿も出席。信尹から餞別の歌をもらう。
  • 3月1日、伏見口より船に乗って大坂に着く。

その後、帰路。

わずか4~5ヶ月の間に、どんだけ幽斎さんが出てくるのかwwwwww
もちろん幽斎さんだけではなく、割愛している内容では信尹もよく出てくるし、他には紹巴もちょこちょこ出てくるかな。あといろんなお公家さんとか武将とかもね、わんさかと。
でもやっぱり、幽斎さんがとびぬけて多いというか、もはや付き人みたいになっているww

幽斎さんも、歌学の才があるとみるや、ものすげー懇ろに扱ってるんだなってことがよくわかるな。
玄與にとってはめちゃくちゃ夢のような時間だったろうなぁ。

それからアレですよね、やっぱり茶智丸くん(細川孝之)が出てくるの可愛い。
幽斎麝香夫妻がけっこう年いってからの子ですからね。
幽斎さんの手元にいて、幼いころからものすごい面々と文化的交流をしていたんだろうなぁと伺わせますね。
いつか紹介したい山田貴司氏の論文でも、幽斎さんの遺品のほとんどはこの孝之が受け継いだらしいことが紹介されていました。
(幽斎麝香夫妻と孝之のことはこちらの記事でもふれています)
あと、細川家は能大好きかよホントwwwww

あぁ、こういう翻刻文くらいきちんと読めるようになりたいなぁ。
今回の翻刻文でさえ、私には結構難しいし、↑の内容もかなり間違ってるところがあると思います。
あまり真に受けないでくださいませ・・・(今更)

しっかしなげぇぇぇl!!!自分で書いといてなんですけど!!!!
ここまで読んでくださかった方がいたら、ただ感謝です(笑)