細き川に溺れたい

   Volo equitare in unda FOSOCAUA... 細川家に関する独り言を綴るだけ

細川六丸くんの雄大な書


度々登場するKeio Object Hubよりご紹介。
お相撲さんやら赤穂浪士やら推しに関する逸話が盛りだくさんな細川綱利。
彼の幼少時代の書の画像がありました~!

こちら↓からどうぞ!
細川綱利筆「柳」一大字 | Keio Object Hub: 慶應義塾のアート&カルチャーを発信するポータルサイト


側近の「柳のようにあれかし」という教えをもとに書いたそうな?六丸くんの「柳」
めったくそ雄大な「柳」じゃないですか???
えーーーー、すごいな六丸くん。

「自由だなぁ周りの人はけっこう大変だったろうなぁ」って思ってしまうような(笑)逸話の多い六丸=綱利なんですけど、この書をみるとこう、確固たる己を持っている人なんかなって感じますな。
良くも悪くもww 我が強いというか。

父である光尚が若くして亡くなり、あわや御家取り潰しか!?って危機を家臣団が乗り越え、めちゃくちゃ幼い内に家を継ぐことになった六丸くん。
特に幼い頃はお飾りの状態で、藩のことは家臣団と後見となった小笠原忠真がまわしていたのでしょうし、政治に関わらせてもらえるようになったのも、実際に肥後の国に入ったのも、成長してから。
とはいえ、幼少期から英才教育は受けていたはずですよね。
そんな一環でこの書を書いたのかなぁ。

名前の「六丸」もなんだか味わい深い。

永青文庫に残っているわけではないので、どこかのタイミングで家外に流出したものなんでしょうが、こうやって残っていてちょっと感動しちゃいました。


(ちなみに、光尚も幼少期は「六丸」という名でしたし、ローマ字印を「fosocaua rocu」とするほど六丸って名前を気に入ってたっぽいけど、この書が綱利の手によるものというのは由緒があるってことなんだろうか?)
(ローマ字印については、こちらをご参照のこと)