細き川に溺れたい

   Volo equitare in unda FOSOCAUA... 細川家に関する独り言を綴るだけ

随神庵はどこにあったのか


前回の記事で、吉田山にあったという細川幽斎の居所である「随神庵 / 風車軒」について書きました。
で、実際この庵はどこにあったのか気になりませんか?

幽斎さんの親戚でもあった吉田家が神職を務めたのが吉田神社
現在も京都市の吉田山に存在しています。HPはこちら↓
吉田神社

で、幽斎さんが生きていた頃の吉田神社は叔父である吉田兼右や、従兄弟である吉田兼見や梵舜がいて、とっても馴染みのあるところだった。
自分自身も吉田山に「随神庵 / 風車軒」を建てて、そこで過ごしていたくらい。

この庵、綿考輯録などには「神竜院 / 神龍池のそば」にあったと載っているんだそうだが、実際にどの位置なんだ!?
気になったので、2023年8月某日、4年半ぶりくらいに吉田神社を訪れてみた(2度目まして)。

境内を巡りつつ、「神竜院 / 神龍池」を見つけようとした・・・・
が、しかし!
現在の吉田神社には「神竜院」も「神龍池」もない・・・・!!!

今あるのは
神龍

龍澤池
なんですよねぇぇぇ

神竜院については、神仏分離のときに寺院ではなくなり末社の一つになったのかなぁと考えると、神龍社と大きく場所は変わらない気はする?

神龍池↔︎龍澤池については、”龍”が共通しているし、名前が曖昧に伝わったりしていたのかも????

と、いうことで、色々とこじつけると(笑)、今ある神龍者と龍澤池の近くに随神庵はあったのでは!?ないでしょうか!?!?

この2カ所の間には、今は道をはさみ、菓祖神社がある感じ。
菓祖神社は室町時代からあった感じではないし、ここのスペースが怪しいか・・・?
つまりこの辺りに簡素な作りの庵があったのかしらん?

あるいは、今は龍澤池の横には吉田幼稚園があるのだけど、この辺にあったのか・・・?
うーーん、でもな、やっぱり「神に随う庵」という名前からすると、神竜院に近い方が可能性は高いかなぁ?

ということで、当ブログ的には↓な感じを想像(妄想)しています!!
何かしら「随神庵 / 風車軒」の場所の情報をご存知の方は是非教えてください!!!