細川藤孝・幽斎の弟に、南禅寺語心院の梅印元冲という人がいます。
これまでも記事を書いていますので、気になる方はご覧ください(→これとか、これとか、これとか)
で、以前の記事でも触れたことがあるんですが、梅印元冲はもともと「海印」という名前だったらしいんですよ。
”海”から”梅”に。さんずいからきへんに。
今回「日本禪宗史論集」というぶあつ~~~い書籍にちょろっと、梅印元冲に関して以下のような情報が載っているのを知ったのでご紹介!
海字勅命梅字改之
・・・・ん?
勅命?勅命って、アレですか?
天皇が命じた、的なアレですか???
マジで??梅印元冲、天皇の命令で改名(改字?)したの・・・・???
梅印は宮中にも和漢聯句で出入りしていたり、智仁親王への講義(「錦繍段」や「蒙求」)をしていたりするので、天皇とある程度の顔見知りだったとしてもおかしくはない。
けどわざわざ勅命で字を変えるってなんだろ・・・??
後陽成天皇は漢詩好きだったみたいだし、天皇のお気に入りだったのかな梅印?
梅印はわりと早死に(25歳年上の幽斎さんより早く逝ってしまった・・・)だったのですが、もっと生きていればより宮中の人たちと近しい立場にいっていたのかなぁ。
と想像させるような一文のご紹介でした。