細き川に溺れたい

   Volo equitare in unda FOSOCAUA... 細川家に関する独り言を綴るだけ

松永貞徳への親近感

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細川幽斎には有名な弟子が何人もいますよね。
中院通勝は、もはや弟子というか共同研究者って感じでしょうか。
後は烏丸光広八条宮智仁親王も。
その他、木下長嘯子とか島津龍伯(=義久)とかも、弟子といえるのかな。
田辺城籠城の際には西軍側に幽斎の歌道の弟子がいたため、攻め手をゆるめていた武将もいると伝わっている。

中でも幽斎さんを熱心に慕っていたというか、崇拝していたというか、奉っていたのは松永貞徳でしょう。

松永貞徳というひと

貞門俳諧の祖。世に俳諧を広めたといってもいいくらいの人。
あの松永久秀の縁者とも?(母方の祖母が久秀の伯祖母だとか、父の松永永種が久秀の養子だとか・・・?)
父・永種のツテで九条稙通大先生や里村紹巴とかからも教えを受けていた、けっこうなインテリです。
九条稙通が亡くなった後、和歌を幽斎さんに学んだようです。
江戸時代には、いわゆる私塾を開いていたりして、わりとリベラルなイメージがあります。


なんですけど、こと幽斎さんに関することになるとちょっとオカシイww
圧強めというか、熱量多めというか、暴走してるというかwww

戴恩記

貞徳がだ~いぶんおじいちゃんになってから、弟子に口述筆記させた「戴恩記」ってものがあります。
この中で貞徳は自分が教えを乞うた人々から「戴いた恩を記し」ているわけですね。
つまり主には師匠について、昔の記憶を思い起こしている感じでしょうか。
実際に先達から指導されていたのはずいぶん昔なので、記憶違いの事柄とかはあるみたい。
でも、それぞれの人に対しての印象やイメージは、まぁ貞徳が抱いていたものとみて間違いなさそうです。

もちろん上述の九条稙通や里村紹巴、中院通勝なども出てくるんですけど
とにかく細川幽斎への熱量がハンパない・・・・!!!!!笑

もうとにかくべた褒めもべた褒めというか「お師さま神!!!!!」みたいな雰囲気を感じる。
そう、現代で言うところの「オタク味」が凄い・・・wwwwwwwww

なんというんでしょう、表現の仕方とかもさ、すごくオタクっぽいんですよね。
以下、続群書類従の第三十二輯下「戴恩記」から引用。読点などはソノママです。

或ハ仰キ玖山ノ高岳ヲ。或ハ挹ム細川之清流ヲ。或ハ窺ヒ菊亭ノ之芳苑ヲ。或ハ陪ス中院之ノ潭府ニ。或ハ酌ミ飛鳥井之ノ寒泉ヲ。或ハ泛フ臨江斎之ノ渓波ニ。


↑の部分。続群書類従には最初に掲載されている部分なのですけど、あんまりネットで検索しても出てこない・・・?
玖山=九条稙通、細川=細川幽斎、菊亭=菊亭(今出川)晴季、中院=中院通勝、飛鳥井=飛鳥井雅春、臨江斎=里村紹巴、つまりそれぞれの師のことを表している感じですね。
師のことを「高岳」やら「寒泉」やら漢字二字で表現しているわけですけど、幽斎さんは「清流」です、「清流」。
もちろん「川」からインスパイアされた言葉でしょうけど、ものすごくキラキラしい眼をした貞徳おじいちゃんが脳裏に浮かんで笑っちゃう・・・ww
いや、この前書きを貞徳が口述したのかはよくわからないんですけども。


そのほかの圧強めなところもご紹介!

「この幽斎公の御俗名は。犬うつ童まても存たる。細川兵部大輔藤孝公と申き。わかき御時より。弓馬はいふに及はす。和歌。連歌。鞠マリ。包丁。打はやしの道まても。御心にかけ給ふに。其道の極にいたる迄。御情を入られしにより。人にすくれ給はぬ芸はおはせさりき。」

「禅定殿下。失給し後には。ひたすらに幽斎法印を頼奉りて。或聚楽。あるひは吉田。又丹後の岡田辺といふ所まて。したひありき奉りしに。御機嫌の悪敷事もなく。何事も尋たてまつれと。乳のみこに物をくゝむるやうに。仰聞されし御恩はいつの世にかは報ひ奉るへき。」

「有時丸か数奇のほとをあはれとやおほしけん。日本国に歌道はやらは。そこも人にしられん物をと仰るゝ時。丸か申さく。丸は此はやらぬを幸と存す。もしはやらは大名高家の人々われさきにと御意をえらるへし。しからはいつの隙にか。わらはこときの者。御前へ出候へきと申せしかは。是も尤なりと御かんありき又有時われも禅定殿下の源氏物語を御相伝あれは。をんみとは弟子兄弟なりと御たはふれありけれは。丸か申さく。よき御兄弟を御持なされしは。まことに御果報いみしき御事そと申上けれは。いよ々々御機嫌よけに打えみ給ひき。」


この表現の仕方がw
もう完全にオタクじゃないですか?www

これを読んでいると、ものすげぇ貞徳に親近感がわくのは私だけだろうか(笑)

幽斎さんが晩年に住んでいたのは、三条車屋の屋敷。
貞徳が住んでいたのは三条衣棚。

どうやら徒歩圏内であるww推し神の近くに住んじゃう貞徳くんwwさすがだぜww

(このあたりの詳しいことは、別記事にて触れています↓)
hohshoy.hatenablog.com




おもしろおかしく貞徳くんをネタにしているTogetterまとめもあるので、気になる方は↓をご覧ください

togetter.com

togetter.com


しっかし、実際に幽斎さんの人となりを知っていて、弟子として多くの時を過ごしたであろう貞徳がこんなに心酔しているのを考えると、やっぱり幽斎さんってかなり人間的にできた人だったんだろうなって思うんですよね。

その他の弟子

基本、弟子はみんな「細川幽斎」という人物を尊敬していたんではないかって気がします。

中院通勝は、女関係でやらかして()正親町天皇の勅勘を蒙り、赦されるまでの19年間幽斎さんのいる丹後で過ごしていて、その間に多くの文芸的交流があります。年齢的にも、光広や貞徳よりも一回り~20歳くらい上ですし、反対に幽斎さんとは20歳くらいしか違わないので、他の弟子とは一線を画す立場なのかな。

烏丸光広も幽斎さんから聞いたことをまとめた「耳底記」って書物を残しています。
公家であるこの二人とは、中院通勝には養女を、烏丸光広の息子には孫(=忠興の愛娘たる万ちゃん)を嫁がせていて、姻戚になってるし。

八条宮智仁親王にいたっては、桂離宮に幽斎さん祀ってるからね・・・!
桂離宮の資料をご覧ください・・・!
こちらの記事もどうぞ〜↓
hohshoy.hatenablog.com


幽斎さんが無茶ブリするのって、忠興や兼見といったごく限られた人物だけで、それ以外の人たちにはおおよそそしるところのない対応してたんだろうなぁ。
(従弟の吉田兼見の日記「兼見卿記」には、身内に多少強引な幽斎さんが出てくる。貴重だよねwwかねみんこんな素敵な日記残してくれてありがとなww)


ちょっと話がそれましたが、幽斎さんオタクな貞徳くんには本当に親近感がわくって話でした。